※この記事を書くにあたり、アイソーボス(=イソップ)著「アリとキリギリス」を参照したことを事前にお断り。
今さえ楽しければ良いと後先考えないキリギリスとコツコツ努力する働き者のアリという対照的なキャラクターが登場する本作。
地道に準備し続けたことで越冬できたアリと怠慢が原因で越冬できなかったキリギリス。
対照的な結末(生と死)を迎える2者の存在を描くことで、アリの様にコツコツ努力することの大切さを読者に伝えます。
アリが教えてくれた様に、人間も生きる上で様々な努力をしなければならない。
努力することは当然。
しかし、努力は万能か?
30年間も生きれば、努力が報われるとは限らないことや努力だけではどうにもならないことがあると思い知らされる。
そして、生きる上で努力と同じくらい大事なことがあることも分かって来る。
今回は、そんなことについて書く。
「持たざる者」は生きるために努力し続けるしかない。
アリとキリギリス」に登場するアリとキリギリスを、人間に読み替える。
そして、食料をお金に読み替える。
お金が無いと生きていけない。
お金を「持たざる者」は努力して、お金を稼ぐ・貯める・増やす必要がある。
頭と体を使わずに、勝手に貯まる・増えるということは無い。
後回しにしていたら、もう手遅れなんてことにもなりかねない。
私は「持たざる者」なので、アリの様にコツコツと努力するしか無い。
努力しても報われないことがある
生きていく上で努力は大事。
しかし、30年生きて、様々な経験をすると、努力だけではどうにもならないことが多々あることを思い知らされる。
努力しても報われない理由は、努力の仕方が悪いこともあるが、
①.生まれる時代によっては、競争環境が厳し過ぎて、努力云々以前のため
②.努力では太刀打ちできない「持つ者」が人間界には存在するため
という2つが大きいと思う。
これらを理解して生きなければ、必要以上の挫折を味わうことになりかねない。
努力しても報われない理由①:生まれる時代によっては、競争環境が厳し過ぎるため
通常、努力は報われる。
努力したアリは無事に越冬し、怠慢なキリギリスは越冬に失敗。
人間も一緒。
しかし、作物が不作だったり、異常気象の年は、地道に努力したアリも一部しか生き延びれない。
これは環境が厳し過ぎて、努力が無に帰すため。
人間が生きる現実の世界でも生まれる時代によっては、競争環境が厳し過ぎて、努力が報われないことがある。
その例の1つが就職。
棒グラフが青色の年は有効求人倍率が1倍超え。
1988~1992年や2014~現在に就職活動を迎えられた人々は幸運。
一方で1999~2004年や2009~2010年に就職活動を迎えた人々は悲惨。
同じ就職活動なのに、時代が違うだけで様相は全く別。
ゲームで言うと、前者が誰もがクリア可能な超簡単設定で、後者が一部の人しかクリア出来ない激ムズ設定という感じ。
私は、2012年に大学を卒業(ストレートでいけば、2011年卒の年齢だが、大学生活を楽しむ中で1年間寄り道しました)して、就職。
自分の就職活動を振り返ると、大学3年生の10月に就職活動を開始し、4月からの面接に備えて最終準備をしている時に、東日本大震災が発生。
企業やリクルーターからの連絡が途絶える、交通機関が麻痺したことでテストセンターでの試験を受験できないなどの状況に陥り、呆然としたことを覚えている。
その後、企業が4月だけでなく、5月や6月に面接を開始するなどの対応を取ったこともあり、私の就職活動は無事に終了。
もし、企業が採用見送りや採用人数削減などの対応を取っていれば、職を得るための私の努力が報われず、就職活動の結果は大きく変わっていた可能性があった。
後述するが、私は「持たざる者」ですから、お金を稼ぐ手段として「サラリーマンになる」という選択肢しか持っていなかったにもかかわらず、その選択肢が消失していた可能性があったわけだ。
努力しても報われない理由②:人間の世界には「持つ者」も存在する。
人間の世界で努力しても報われないことがある理由の2つ目は、「持つ者」が存在するため。
「持つ者」の前では、「持たざる者」の努力は意味を成さない。
家柄、ルックス、身体能力や遺伝的要因は努力ではどうしようもない。
30年程の人生経験だが、どんなに頑張ろうと「持つ者」の前では、「持たざる者」は無力であることを大なり小なり実感させられることを多々実感。
家柄が良く金持ちの家に生まれた人も、そうでない人もたくさん見て来た。
モテモテのイケメンに嫉妬したりもした。
田中将大選手、前田健太選手や坂本勇人選手の様な超一流のプロ野球選手と同い年だが、私と彼らの身体能力には雲泥の差がある。
頭髪の薄さが遺伝的要因で決まるのにも納得いかない。
これらはほんの一例で、他にもどう努力しても埋められない差がある。
分を弁えることが大事
では、どうすれば良いのか?
分を弁えて生きるというのが、私の30年ちょっとの人生から導き出された答え。
分を弁えるとは、
1).自分の出来ない・向いていないことを認識
2).その認識に基づいて、自分自身が進むべき道を設定
3).進む中でまた自分の出来ない・向いていないことが分かったら、進むべき道を再設定
の繰り返し。
自分の人生を振り返ると、方向・方針転換の連続。
・サッカーが好きだが、実力が伴わないので、中学入学と同時に趣味止まりに
・大学入学後は弁護士を目指すも遊びに夢中になり断念し、民間就職一本に
最初から自分に限界を設定する必要は無いが、出来ないことや向いていないことを早めに認識する。
そして、認識したら、すぐに心身共に切り替える。
諦めずにやり続けることは大事ですが、それと同じくらい方向・方針転換することも大事だというのが30年ちょっとの人生から得られた結論。
最後に
私は「持たざる者」なので、努力するしかない。
努力しても必ず報われるわけではないが、努力を止めたら生きていけないので、アリの様にコツコツと頑張ろうと思う。
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