※※この記事を書くにあたり、C.N.パーキンソン著「部下には読ませられぬ本パーキンソンの法則」(森永晴彦 訳版)を参照したことを事前にお断り。※※
C.N.パーキンソン著「部下には読ませられぬ本パーキンソンの法則」(森永晴彦 訳版)を読んだ。
ページ数が多くないということもあるが、内容がとても面白くて飽きること無く、1日で読み終えた。
10個の章で構成されているのだが、特に「3.関心喪失点」は非常に面白く、この章を読んで様々なことを考えさせられた。
この章で書いてあるのは「凡俗の法則」について。
この本を読んで、自分の投資が上手くいっていない理由が分かった。
そして、会社で無駄な仕事が減らないどころか増えない理由も分かった。
今回は「3.関心喪失点」を読んで考えさせられたことを書いていく。
凡俗の法則=人が真剣に物事に取り組むかは重要度ではなく、想像・理解し易いかどうかで決まる
凡俗の法則を簡単に説明すると、
-人が真剣に物事に取り組むかはその物事の想像・理解し易さによって決まり、
-想像・理解し易過ぎると取り組まなくなる(関心喪失点)
というもの。
人がどれだけ物事に時間をかけて取り組むかは、物事の重要度と比例すると思いちだが、重要度が高い事項でも想像・理解し辛ければ時間をかけなくなるということだ。
なので会議中に凡俗の法則が発動すると、重要な事項であっても想像・理解し辛いという理由で活発な議論はされない。
図にすると下記の通り。
想像・理解し易くなるにつれて、議論の時間が長くなる。
しかし、想像・理解し易さが5(=関心喪失点)に到達すると議論されなくなる。
本書内では架空の委員会での議論の様子が例として挙げられている。
その委員会で話されている議題は、①.原子炉建設の費用、②.自転車置き場設置の費用と③.委員会で出される茶菓の費用。
委員会のメンバーは、議長含めて11名。
その内、原子炉の専門家は1人だけ。他のメンバーは原子炉に関する知識を一切持っていない状態で議論に参加している。
まず、①.原子炉建設の費用に関する議論を見てみる。
各メンバーは一応発言するが、原子炉について理解していないことがばれない様に当たり障りの無い発言に終始するので議論が盛り上がらない。
そのままの調子で議論は続き、何となく正しいと思われる結論が出される。
原子炉について理解していない者同士が議論しているわけだから当然と言えば当然だ。
唯一、原子炉について理解している参加者である専門家も議論の流れと結論に違和感を覚えつつ、「どうせ意見を言ってもこいつらは分からないだろう。」と判断し、意見を言わずその結論に賛成して議論が終了。
原子炉建設という重要度が高い議題だが、想像・理解し辛い議題なので議論に割かれる時間は短くなった。
次に②.自転車置き場設置の費用の議論を見る。
上記①.原子炉建設の費用に関する議論よりも盛り上がる。
自転車置き場の必要性有無、設置費用の妥当性や屋根の色などについて活発な議論が交わされる。
これは誰でも自転車置き場が何かを理解しているから。
使用されている材料や自転車置き場の費用の相場が分かっていなくても、提案される材料や見積り金額が彼らの想像・理解可能な範囲を超えないので活発な議論が交わされる。
最後に③.委員会で出される茶菓の費用に関する議論を見る。
原子炉建設の費用に関する議論をしていたメンバーと同じメンバーであることが信じられないくらいの白熱ぶりで次回の会議に持ち越し。
これはコーヒーやお菓子に関するほぼ全てのこと(値段、種類、原料など)が彼らの想像・理解可能な範囲内に収まるからだ。
これまで見て来た議論①~③の想像・理解し易さと議論に割かれる時間の関係を図にすると下記になる。
これで凡俗の法則の説明は終了。
ここからは凡俗の法則の説明を読んで考えさせられたことを書いていく。
凡俗の法則の説明を読んで考えさせられたこと①
自分が想像・理解可能な要素だけを判断基準とするから投資判断を誤る。
凡俗の法則に関する説明を読んだ時、自分の投資が上手くいっていない理由の一因が分かった。
それは私が自分自身の身近にある想像・理解し易い要素だけを判断基準として、投資対象を決めているため、勢いを失った企業の株に手を出してしまったり、規律の無いポートフォリオを組んでしまったりで投資結果が悪くなるというもの。
投資対象を決める時、配当利回り、PER、ROEやフリーキャッシュフローなどを確認することも大事だ。
しかし、マクロな視点での情報収集(業界のルールを一変させることになる規制や技術革命、投資資金の流れに影響を与える政治的な話題など)を行うこともそれと同じくらい重要なのに全くしていない。
重要と分かっていても、自分の想像・理解可能な範囲を超えた瞬間、逃げてしまっているのだ。
そして、自分が想像・理解している馴染み深い要素に頼って投資判断をしてしまう。
視野を広げて自分に馴染みの無い分野の情報収集も積極的に行うことで少しはまともな投資判断が出来るようになるのではと思った。
ちなみに私が勤める会社で投資判断の誤りによる損失が多い理由もこれと全く同じ説明で理解できる。
この架空の委員会と同じことが私が勤めている会社でも行われているのだろう。
経営者ごっこをしているサラリーマン上がりの人たちが知識も無いままに自分たちが分かっている(と思っている)ことだけを基に議論して投資判断を下しているわけだから、そりゃあ失敗するわけだ。
凡俗の法則の説明を読んで考えさせられたこと②無駄な仕事は減らない
凡俗の法則に関する説明を読んだ時、私の投資が上手く行っていない理由の他にもう1つ分かったことがある。
それは、会社で無駄な仕事が減らない理由。
頻繫に行われる組織改編、毎年増加する報告必須事項とそれに伴うペーパーワーク・・・意味の無い作業を挙げればきりがない。
これらは、サラリーマンという成果物を出すことを求められる存在が集まる会社で凡俗の法則が発動した結果の産物だということが分かった。
経営者も結果を出さなければならない。
しかし何から手を付けて良いか分からない。
特に社内で昇進を重ねてサラリーマンから経営する側の立場になった人はそのような状況だろう。
彼らは目に見える結果を求めて、自分が想像・理解し易い(重要・有益とは限らない)項目に取り組もうとする。
そんな彼らの頑張りの産物が、組織改編であり、新たな報告事項の発生だ。
社内外に結果が目に見えて分かる組織改編は彼らのお得意分野で意味が無くても繰り返される。
そして、それらに関連して生じる無駄な仕事の処理に現場は時間を割くことになるわけだ。
これが会社で無駄な仕事が減らない理由だ。
サラリーマンとして生きると、今後も凡俗の法則によって生まれ続ける無駄な仕事への対応に自分の時間を割かなければならないということ。
この状態を脱するためには収入源を多角化し、サラリーマンとして生きなくても大丈夫な状態になる必要がある。
私はまだまだサラリーマンとして生きていく必要がありますが、選択肢の多角化に向けて、収入の多角化を目指したいと思う。
最後に
凡俗の法則の説明から、人がどれだけ物事に真剣に取り組むかは、それらが想像・理解し易いかどうかによるということを学んだ。
この凡俗の法則の存在を意識することで、投資活動やサラリーマン生活が少しでも良くなるのではないかと思った。
サラリーマン生活は長く続けたいとは全く思わないが・・・。
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