どこから個人の差が生まれるのか

人生
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人生は人それぞれだし、優劣を付けるべきではないことも分かっている。

ただ、生きている中で漠然とではあるが優劣を感じてしまう瞬間があるのも事実だ。

それは生きて行くためには競争に参加しなければならず、競争に参加するとなると必然的に他人との比較が必要となってくるからだろう。

他人との競争では必ずしも数値化されるものだけが対象となるわけではないため、モヤモヤすることもある。

生まれながらにして競争を免除された者達もいるが、競争への参加が必要な者達の方が圧倒的に多いだろう。

その競争においてどこから個人の差が生まれるのか?

今回はそんなことについて書いていこうと思う。

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個人間に差を生じさせる要因①自分自身の選択と努力の量

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個人間に差を生じさせる要因の1つ目は自分自身の選択と努力の差だ。

まず、選択について。

全ての選択にはメリットとデメリットがある。

それらメリットとデメリットを考慮して選択することになる。

あとからメリットとデメリットが分かるケースもある。

メリットを大きく享受できる時もあれば、デメリットのマイナスの影響ばかりを受けてしまう時もあるだろう。

メリットが消失し、デメリットだけが残ってしまう時も来るかもしれない。

この選択が後に個人間に差を生じさせる要因。

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次に、努力の量。

これも分かり易い。

後述する理由で努力の量が結果に反映されないこともあるが、努力すればするほど結果は良好になるのは間違いない。

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勉強は努力が報われる確率が圧倒的に高い分野

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私の30数年の人生経験から考えると、努力がそのまま結果に反映されるのは勉強くらいじゃないかと思う。

自分自身も周囲を見ても努力がそのまま結果に直結されるのは勉強くらいだ。

こちらも後述するが、努力して勉強することで得られる学歴は持たざる者が比較的簡単に獲得可能な武器だ。

日本のような緩い学歴社会では学歴があるだけで就職可能。

学歴があるだけで良いのだから持たざる者は学歴を獲得しない手は無い。

地方の農家に生まれ、塾に通うこと無く東京大学に現役で合格した男が身近にいる。

東京大学しか受験していないのだから合格を確信していたのだろう。

その後、就職してしっかりと働き、子供たちを大学卒業まで育て上げた。

私が尊敬してやまない男だ。

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学歴以外にも日本では体育会系も幅を利かせられるのでこちらを選択し、努力量を増やすのも手だ。

就活するのであれば体育会系であるだけで良い。

ベンチでも良い。

「チームとして最高の結果を得るために控えとしてできることを考えて行動した」や「体育会所属の経験から努力の大切さを学んだ」など説明方法でいくらでもアピールポイントとなる。

有名大学であれば応援団に所属するというのも手だ。

理由は分からないが就活では応援団所属も有利になる。

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個人間に差を生じさせる要因②自分自身以外の選択と努力の量

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親がいるから自分がいる。

自分は、自分自身の選択と努力だけでなく、親から連綿と続く選択と努力によっても形成される。

言い訳にしてはいけないが、両親の選択と努力の量も個人間に差を生じさせる要因となる。

子供は自分が生まれる家を選べないので無責任な親の下に生まれた場合はハンデキャップがあることは事実だ。

自分が子供を持つとなった場合にその子供だけでなく、その子供が関わることになる人々の人生にも影響を与えることを深く考えずに子供を持つ人がいる。

そういう親の下に生まれついた場合は、生まれた瞬間から背負うこととなるハンデキャップを跳ね返す努力が必要となる。

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親を選べないことでスタートの時点で既に差が生じている事実は受け入れなければならない。

それは子供を持つという選択をした親の責任だ。

自分自身では成す術が無い期間が生まれてから続くが、中学生くらいから自分自身の選択や努力の量がその後の人生に大きな影響を与えることとなる。

選択と努力が重要なのは明白だが、見逃されがちなのは友人関係だと思う。

付き合う人間を間違えると道を踏み外す可能性が高まる。

付き合う人間も自分で選ぶわけだからやはり選択は重要だ。

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個人間に差を生じさせる要因③持つ者の存在

こちらに関しては、アリとキリギリスの読書感想記事をご参照ください。

残念ながら、持たざる者の努力は持つ者の前では意味を成さない。

自分に合わないと思ったら、方向転換するという「選択」も重要だ。

方向転換が早ければ早いほど他の道で上手く行く可能性が高まる。

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最後に

自分の今は良くも悪くも選択と努力の量によって形成されている。

選択を間違ったり、努力の量が足りなかったと気付けたのならそこからやり直せば良いと思う。

これは努力を怠ってきた自分への戒めだ。

毎日、心身ともに健康に生きるために努力を重ねていきたいと思う。

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