株価の分析・考察レポートを見るのは面白い。
様々な情報が集められ、それらを基に未来に関する理論が組み立てられる。
そして、きれいに体裁が整えられた上で発表される。
現在進行中のコロナショックのように長期間にわたって市場に影響を与えるイベントが発生すると考察・分析レポートの質が如実に分かってしまう。
今回はコロナショック初期から様々な考察・分析レポートを見てきて感じたことを2つ書く。
コロナショック初期から考察・分析レポートを見てきて感じたこと①考察・分析レポートは政策決定者が出動するまでのお遊びに過ぎない。
政策決定者が出動した瞬間、全てが一変する。
これは、現在進行中のコロナショックによる市場の乱高下を身をもって経験し、そこから学んだ中で一番大きなことだ。
株価予測が当たらない理由もこれ。
コロナショックのような大きなイベントの初期段階では、市場影響力皆無の人間の中で知識をひけらかしたい者達が分析・考察レポートを作成する。
後述するが、分析や考察が外れても退場させられずに活動継続可能なわけだから、次々とレポートが作成される。
当たれば市場で起きていることを見抜く慧眼の持ち主としての評価を得られて超ラッキー、外れてもまたチャレンジすれば良いという感じだ。
ただ、これらの知識ひけらかしの遊びも、市場影響力が異常に高い人々が出動した段階で終了。
市場影響力が異常に高い人々の言動でこれまでの状況全てが一変する。
市場影響力を持つ人々の言動の解釈は、市場参加者それぞれで異なるだろう。
異なる解釈を持つ人々がバラバラに動くので市場が混沌とする。
そして、市場が想定外の動きをし始める。
人間は過去からの連続性で物事を考えがちな生き物だから、過去のトレンドやデータを引っ張り出して理論を組み立てようとするが無意味だ。
それらは市場影響力を持つ人々が出動し、市場が混沌とするまでのお遊びでしかない。
おそらくコロナショック収束数年後にも様々なレポートが出されると思うが、それらもこじつけになるだろう。
何が起きていたかは正確に分析できるようなものではないだろう。
コロナショック初期から考察・分析レポートを見てきて感じたこと②下手も数打てば当たる。そして、カリスマに?
コロナショックを実際に経験して、市場影響力の無いのがどんだけ知識をひけらかしても意味が無いということが分かった。
ただ、そうすると株式市場のカリスマの存在が気になる。
株価が予測できないとすると、何故、カリスマが誕生するのか。
私の推測は、「他の人よりも打席に立ち、一本でもヒット性の当たりが出たからカリスマになれただけ」というものだ。
コロナショック初期から今後の株価動向に関する様々なレポートが出された。
見てくれが良かったり、難しそうな単語を並べているレポートがあったが、内容は全く見当違いだったなんてこともある。
ユニフォーム、グローブ、バットやスパイクは格好いいのを揃えたが、肝心の実力が伴っていない選手といったところだろうか。
しかし、そんなのにも打席は無限に用意されている。
戦力外は無い。
ぼてぼての内野ゴロや空振りのようなレポートを書いていても、レポートを書き続けて一本でもヒット性の当たりが出れば、慧眼の持ち主としてカリスマになり、もてはやされる。
株式市場のカリスマとはそんなもんだろう。
現在進行中のコロナショックは良い機会だ。
市場の動きが小さい時はレポートの精度が分かりにくいが、現在進行中のコロナショックのように市場が大きく動いている時はレポートの精度が分かり易い。
大きく上がっていた株価が大きく下がり、また上がった。
今後、上がり続けるのか?
それともまた下がるのか?
それっぽい考察・分析レポートをしている人物を何人かピックアップした。
コロナショックは彼らのレポートの精度を測定するのには絶好の機会だ。
特に分析・考察レポートを提供することで他人様にお布施をお願いしている者のレポートの精度は気になる。
観察し続けようと思う。
最後に
コロナショックは私が株式投資を始めて初の大暴落。
高い授業料になったが、この現在進行中の大きなイベントから多くのものを学ばせてもらっている。
今後の投資に生きるだろう。
そして、このイベントを通じて、カリスマの実態が分かるのではないかとも期待している。
ピックアップした数名を追い続けたいと思う。
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